ナイモノネダリ

旅に出た理由はソウイウコトだったのかもしれないなーと最近よく思う。
好奇心っていうのはソウイウトコに繋がっていくんだとも思う。

もうあれは2年以上も前のことだけど、僕は友達との待ち合わせ場所であったタイのバンコクへ向かうため、中国から国境を越えてラオスを縦断した。
ラオスはとても良い国だった。自然がいっぱいでみんなのんびりしてる。こういう生活こそが人間にとって一番なんじゃないかなって、そのときは本当に心底そう感じた。

国を縦断し、タイとの国境の街である首都ビエンチャン。そこは日本的カンカクで言えばまだまだ「都会」とは呼べないかもしれないけど、ラオス的カンカクでは充分「都会」と呼べる場所だった。僕はそのことを少し残念に思った。

「日本企業が援助協力を行って次々に色々な建物を建築しているらしい」

僕はそこで出会った日本人にそういった話を聞いて「そんな余計なことを。。。この国には開発なんて必要ない。そんなことしない方がみんな幸せに生きていけるんだ。」と、そう思った。

僕はその時、過去を見つめていた。
「過去」にあるビエンチャンが(今僕らが住んでいるような)未来の世界へ向かう事に対し、「それは正しいことではない」と決めつけていた。
彼らの生活状況や気持ちを全く考えもせず、数百ドルもの大金を財布に入れて自由気ままに旅を続けてる、そんな未来の世界に生きる者の立場から。
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「文明の発達が僕らの中にある大事なカンカクを忘れさせる」

これは正しいと僕は思う。そしてそれと同時に

「より便利な生活を求めるのは、人間として当然のことなのかもしれない」

とも思う。

今僕らを大きく分けると2つ。過去の生活を見つめる人、未来の生活を見つめる人。

前者は(あの頃の僕のように)今の文明社会に違和感を覚え、過去の生活(大袈裟に言えば自給自足だったり)が良いのではないかな〜なんて思ってるヒト。

後者は「より便利に」をキーワードに加速度的に発展していく現代社会に何の違和感も持たず、更に新しく便利なものを求め続けるヒト。

現状からのナイモノネダリ。

だから世の中は動き続ける。

もしヒトが「無欲」であったなら、世界は存在しないのかも知れない。

「悟りを開く」のと「無欲」ってのはこういうとこで繋がってるのかな〜なんて思ったりするんだけど、どうなんかな〜。


「いろいろな人がいるよ。」

僕は旅を始めた頃から、この言葉を自然と口にするようになった。

ヒトがいるからこそ世界がある。みんなそれぞれに、自分の中に世界を見てる。
ヒトの数だけ考え方がある。宗教観がある。好みがある。生き方がある。
みんな違うんだからたまにはけんかもある。戦争だって平和だって。

そういう世界であることを認める。
「ここ」はソウイウ世界だ。

でも、そんな世界の中で自分がどうやって生きていくのか。
違う意見を否定はしたくない。

ただ、己の信念の元「無言実行」ってのが今の自分が考える一番理想的な生き方だと思う。
言葉は重い。

まだまだ先は長い。

でも、そうやって、生きて、いつか、終わっていく。

いつか終わる。

僕の世界は。。。。。。。。

続く。。。

と書いて続いたことってあんまないね。。。。
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by oto-no-ha | 2005-05-22 23:52 | dialy
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