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奴の名はジャリヤン4

早く続きが読みたいという熱烈なファンメールが数多く届いたかどうかは定かではないが、とりあえず今夜から皆既日食会場入りなので、ネットが使える今のうちに続きを書いておこうと思う。(しかしトルコはケバブを始め、インターネットまで値上げしててびっくりである。)

再び眠りについた私は朝5時におじいさまにたたき起こされた。老人の朝は早い。
Rithy曰く、これくらいの時間に起きるのが普通でカンボジア人の朝は基本的に早いのだ、ということだった。

朝、鳥の声を聞き目を覚まし、夜、日が沈み暗くなったら眠る。人間はそれで充分幸せなのだ。

そんな言葉を思い出した。

言葉を使わない(確かジェスチャーだったと思うけどあんまり覚えてない)会話を交わし、気がつくと夜が明けていた。

Rithyの仕事のこともあったし、僕がここにいたらジャリヤンは学校を休みそうだったので、僕らは早々とプノンペンへ帰ることにした。

帰ることを告げると、彼女はあっかんベーをしてちょっと不機嫌になった。
もっとここにいたいという気持ちはあったが、結局いつかは別れなければならないのだ。
ここに長い時間いればいるほど、別れるときはもっとつらくなる。

別れ際に僕は彼女の写真を撮ろうと思った。
朝早かったので太陽の光が足りず、少しぼやけた写真になるかもしれないけど(僕はこの旅にはマニュアルの一眼しか持っていかなかった)。
僕がカメラを構えると、彼女は少しだけ機嫌をなおし(笑いこそしなかったものの)、柱の横に立ち僕のカメラに視線を向けた。

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Last photo@Phoum veal

僕は彼女の写真を一枚だけ撮って、
家族のみんなにお礼を言い、
Rithyのバイクにまたがった。

もう会うことはないかもしれない。そう思った。

旅をしていれば、出会いとはつまりソウイウコトだ。必ず別れはくるし、僕らはお互いの人生をほんの少しだけ交差させ、そしてまたそれぞれに進み、たまにかつて出会った人のことを何かの拍子に思い出し、懐かしむ。

まー、しょうがない。そんなもんバイ。

Rithyがバイクを走らせる。僕はできる限りの笑顔で、みんなの姿が見えなくなるまで手を振った。

帰りは軽く雨が降っていた。僕らはびしょぬれになりながら元来た道を進んだ。
Rithyはこのコミューンで素敵な女の子を見つけたらしく、この雨にも文句を言わず、その子がいかに素敵かということを延々と僕に語っていた。

アーメン

とりあえず今回の旅で、僕の記憶の中で7歳だった彼女は10才の女の子に成長したわけだ。
そしてとりあえず、これからしばらくは(もしくはずっと)僕の中で彼女は10才のまま、な訳である。。。
元気でよかった。

久しぶりに会う友達に元気?って聞く理由、ソウイウコトなわけだね。

みんな元気であれ。元気で。幸せであれ。ってね。

思い出だけは最後の最後まで持っていけるから、良かったなーと思った。

あれ?意味不明?じゃ、ソウイウコトデ























と思ったら実はここから更に続きがあるんです(笑)。
こっからが超運命的。

まさかこの気まぐれな旅が…

ま、それは帰国してから書こうと思います。

それでは

See you under the total eclipse!!!!
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by oto-no-ha | 2006-03-25 16:59 | 奴の名はジャリヤン

イスタンブール

到着。

ケバブ食いました。
相変わらずyeniホテルです。ちょっと高くなってます。

明日か明後日にアンタルヤ向かいます。
なんかどうなるんかよーわからんす。
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by oto-no-ha | 2006-03-23 18:31 | traveler

雨の日のビエンチャン

昨日は神山しんちゃんと久しぶりの再会 in Vientian。

一人で歩いてて、何か目の前に変なモヒカンがいるな〜と思ったらしんちゃんでした(笑)。

久しぶりの日本食(刺身)も堪能。beer laoはやっぱりうまい。

3年前の誕生日は一人でメコン眺めながらbeer lao飲んでた。
今となれば良い思い出。

ここはゆるくてよいとこです。

今日はあいにくの雨。

レコ屋のビニール袋一つで入国した私は、当然傘も持っておらず、
ま、こんな日はゆっくりすごそう。

ビールでも飲んで。
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by oto-no-ha | 2006-03-20 13:53 | traveler

ちょっくらしんちゃんに会いに

ビエンチャン行ってみます。
最近は海外でも携帯通話できるようです。
そんで23から飛んでイスタンブール。
もはや何度めの飛んでイスタンブールなのか。。。。

奴の名はジャリヤン、、、本当にとんでもないほど運命的な結末でありました。

え!まじで?
ってなくらい。

そのことについては、ま、近々書こうと思います。

世界は平和です。
それでは。
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by oto-no-ha | 2006-03-18 19:02 | dialy

奴の名はジャリヤン3

Phoum vealにたどり着いたヒデオとRithy。
私たちは拍子抜けするほどあっさりとジャリヤンに出会うことができた。

彼女のおじいちゃん、おばあちゃん、ご家族なのか近所の住人なのかわからないほど入り乱れたその他大勢に、我々は暖かい歓迎を受けた。
どうやら私のストーカー行為については目をつぶり、きれいさっぱり水に流してくれたようである。
Rithyの通訳で、とりあえず5泊くらいしていくのかという話になったが、私はいやいや1泊で充分ですと、謙虚な姿勢で望んだ。

そして今度こそ忘れまいと、先ずジャリヤンに写真を渡した。
彼女に関して言えば、相変わらず恥ずかしがっていた序盤ではあったが、
だんだんと私のペースにはまり、1時間後には私の手を引っ張りあちこちへと連れていってくれるまでになっていた。
つまりは意識と行動の間のフィルターになっていた所謂「思春期」というものが、この頃にはすっかりなくなっていたのだ。おそらく。

私はジャリヤンに促され、日本製防犯登録のなされたぼろぼろのままチャリにまたがり、彼女と二ケツで畑のあぜ道をひた走った。
あるいは同じ年頃の男女のこういった思い出のことを人は青春と呼ぶのかもしれない。
が、生憎わたしと彼女では年が15程離れていたので、どちらかといえば私は父親になった自分を想像し、「いやいや、こんなかわいい娘がおったら家から出れんバイ。。。」などと妄想にふけったりもした。

そして夕刻、我々は素晴らしい夕飯をごちそうになった。
そして私はその数時間後、きれいにお腹をこわしていた。そういうものである。

このコミューンの夜は早い。我々は20時には寝室に案内されていた。
バスケ部の合宿でも使えそうなほど広々とした空間に、それぞれゴザがひかれ、枕が用意された。
しかし、だからと言ってすぐに寝るはずもなく、我々(というか私)は子供たちと共にはしゃぎまくり、歌を歌いながら踊った(どちらかというとそれは舞いに近いものだったと思う)。

皆が寝静まる頃、外はスコールのように(というかスコールだと思う)激しい雨が大地を強く叩き付けていた。
風は荒れ狂い、木々は激しく揺れていた。
空には雷雲が力強く広がり、一瞬の閃光が世界を染める。。。

ある一つの秩序に従って世界はきちんと運行しており、
私はかつての旅で発見した世界の法則や宗教の秘密、そしてあるカンカクのことを思い出しそうになりつつも、ぼんやりとした頭の中、やっぱりいいやと眠りに落ちた。ZZZZZ......

目を覚ますとまだ夜中で、外の雨はすっかりやんでしまったようだった。
私はごそごそと起きだして、一人縁側へ出た。

雲はまだ残っているものの、空にはきれいな月がでていた。
しばしそれに見とれていると、だれかが同じように縁側にでてきた。
出てきたのはジャリヤンだった。どうやら私のたてた物音に気づき、目を覚ましてしまったらしい。

彼女は私を見て「どうしたのか?」と目でそう言ったような気がしたので、
私は空を指差し「月を見ている」と声には出さずにそう言った。
彼女は私の隣に腰をおろし、同じように月を眺めた。

我々の間に共通言語はないが、この美しい月を共有することはできるのである。

私は「ふむ」と言って頷いた。
彼女もそれを真似て「ふむ」と頷いた。

そして我々はそれぞれ小さなあくびをして

それぞれ寝床に戻り、再び深い眠りに落ちた。

続く。。
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When she was 7 years old on the boreder in Poipet......
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by oto-no-ha | 2006-03-17 01:14 | 奴の名はジャリヤン

奴の名はジャリヤン2

やってきました。奴の名はジャリヤン第二章。

さて、ついにプノンペンに降り立ったひでお。着いた時には砂まみれ。太陽に焼かれ肌は真っ赤。あんまり体調はよろしくなかったため、適当に宿を決め、夜9時には爆睡。。。

翌日、ラオスビザを申請し、朝9時にジャリアンを探す旅へ。
手がかりはただ一つ、ジャリヤンのじいちゃんが書いてくれたよーわからんアドレスである(カンボジア人もお手上げ)。
宿専属のバイタクドライバー"Rithy"をお供につけることに成功した私は(10ドルで買収)、とりあえず読み取り可能であったtakeo地方へとバイク(原付)を走らせる。いや、厳密に言えば彼にのせてもらった。

最初に着いたのは入場料金3ドルの観光地。一通り見た後、「ここではないな」といち早く感づいた私はRithyに軽くけりをいれ、さっさと目的地へ向かわせる。

「ハロ〜、ジャパニ〜、ベリ〜ファ〜」と文句をいいながらも、ひたすら走り続けること約2時間。さまざまな人に聞き込みをいれ、どうやらこのアドレスは本道を大きくはずれた場所に位置する小さなコミューンであることがわかった。

「ハロ〜ジャパニ〜、テンダラ〜、ベリ〜チープ」と文句を言いながらも、Rithyはバイクを走らせる。

出発してから実に3時間半。私たちはついにphoum vealという名の小さなコミューンへと辿り着いた。

果たして本当にこの小さなコミューンにジャリヤンはいるのか?
ヒデオとRithyを襲う驚愕の真実。。。
次週、感動のクライマックス。。。

(すべて実話です。。。)
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by oto-no-ha | 2006-03-14 12:35 | 奴の名はジャリヤン

奴の名はジャリヤン

日記なんて書く時間はあってもインターネット代が馬鹿になりませんので、これまでの旅を省略して書きたいと思います。

皆既日食前にストップオーバーという手法を用いとりあえずバンコクに降り立ったひでお。
目的はただひとつ、二年前カンボジア再訪の折に会えず、写真を渡しそびれたジャリヤン(このブログにものってる金髪ショートカットの女の子)に写真を届けにいくこと。
二日目、奴の住む町poipetにたどり着いたひでおだが、唖然。。。
なんと奴らの住んでいたスラムは取り壊され、新しい建物が建設中。
途方にくれるひでお。。。だが彼はあきらめず、無限に広がるスラムというスラムを探し回り、様々な人々に助けられ、ついにジャリヤンとの再会を果たす。やつは7歳のがきんちょから10歳の所謂女の子になっていた。
髪は伸び、ちょっとシャイな感じはいわゆる思春期真っ只中である。


2年半ぶりの再会を果たしたひでお。しかし、ひでおの素敵な勘違いにより、写真を渡しそびれたままジャリヤンは現在の居住地であるプノンペンの近く(かなりアバウト)に帰ってしまったと聞かされる(昨日)。。。奴は今おじいちゃん、おばあちゃんに預けられているらしい。。。

ひでおは決意する。
(どうせ暇なので)彼は今朝、パソコン運搬用トラックの荷台に乗り込み、ローカルピーポーと共に砂嵐に吹かれながらジャリヤンの後を追い、400km東のプノンペンへと向かう。(一歩間違えばストーカーである。)
果たしてひでおはジャリヤンに写真を渡すことができるのだろうか?
次週、感動のクライマックス(の予定)。。。

いや、これ実話やけんね。。。

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2003/8/?? Jiriyi and her little brother@Poipet
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by oto-no-ha | 2006-03-12 22:41 | 奴の名はジャリヤン

度々の旅

私の中の好奇心がだんだんと弱まってきていました。
目の輝きが次第に失われつつあるように感じていました。
あるいはそれでも良いのかもしれないと思い始めていました。
それが正しいことなのかもしれないと思い始めていました。

ある日、私は決断しました。

引っ越したばかり(11日間滞在)の家は引き払い(トータル15万くらい損した)、

決まっていたオープンキッチンのフレンチレストランへの移籍の話は断り(本来なら今日から働いているはずだった)、

その瞬間のためだけに
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いや、あとあの子達にサッカーボールを渡しに
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ちょっくら行ってきます。

後悔無し。全力で。
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by oto-no-ha | 2006-03-06 15:45 | traveler